最高裁判所第三小法廷 平成6年(行ツ)24号 判決 1996年1月23日
上告人 地方公務員災害補償基金東京都支部長 青島幸男
右訴訟代理人弁護士 早川忠孝 大山英雄 安西愈 橋本勇 河野純子 濱口善紀
被上告人 加藤和子
右訴訟代理人弁護士 大竹秀達 吉川基道 中村誠 安東宏三
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人早川忠孝、同大山英雄、同安西愈、同橋本勇、同河野純子、同濱口善紀の上告理由について
所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らし、首肯するに足り、右事実関係によれば、加藤美水は、昭和五五年四月一六日午前九時ころ、勤務先において、労作型の不安定狭心症を発症し、救急車で病院に運ばれたものであるところ、美水はその際、入院のうえ適切な治療と安静を必要とし、不用意な運動負荷をかけると心筋こうそくに進行する危険の高い状況にあったにもかかわらず、その日は病院から勤務先に戻り公務に従事せざるを得ず、更に翌一七日も、午前中に病院で検査を受けた後に公務に従事せざるを得なかったというのである。右事実関係の下においては、美水が四月一七日の午後四時三五分に心筋こうそくにより死亡するに至ったのは、労作型の不安定狭心症の発作を起こしたにもかかわらず、直ちに安静を保つことが困難で、引き続き公務に従事せざるを得なかったという、公務に内在する危険が現実化したことによるものとみるのが相当である。そうすると、美水の死亡原因となった右心筋こうそくの発症と公務との間には相当因果関係があり、美水は公務上死亡したものというべきであるとした原審の判断は、正当として是認することができる。論旨は採用することができない。
よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 可部恒雄 裁判官 園部逸夫 裁判官 大野正男 裁判官 千種秀夫 裁判官 尾崎行信)
上告代理人早川忠孝、同大山英雄、同安西愈、同橋本勇、同河野純子、同濱口善紀の上告理由
《目次》
第一 はじめに
一 事案の概要
二 上告理由の存在
三 災害補償制度への影響
四 まとめ
第二 地方公務員の災害補償制度について
一 災害補償制度の意義
二 地公災制度制定の沿革
1 地方公務員法制定時
2 労災法の改正と地公災法の制定
3 地公災制度の特質
三 地公災制度と労災制度・国公災制度との均衡
第三 地公災法における相当因果関係の解釈について
(判決に影響を及ぼす法令違背(民事訴訟法三九四条))
一 地公災法における相当因果関係の内容
1 相当因果関係の必要性
2 民事賠償における相当因果関係との違い
二 地公災基金理事長通達
三 基金理事長通達の認定基準の合理性
1 職業性例示疾病と包括疾病との違い
2 地公災基金の認定基準
3 脳・心疾患の場合の考え方
4 労働省六二年通達について
四 相対的有力原因説
1 相対的有力原因説の妥当性
2 誰を基準に相対的有力原因を判断すべきか
五 判例の考え方
1 札幌高裁平成元年四月二七日判決
2 大阪高裁平成二年五月二九日判決
3 東京高裁平成二年八月八日判決
4 福岡高裁平成五年七月二〇日判決
六 原判決の法令違背
第四 心筋梗塞・狭心症に関する医学的経験則について
(医学的経験則違背(民事訴訟法三九四条))
一 はじめに
二 心筋梗塞の発症機序
1 心筋梗塞
2 冠動脈硬化
3 狭心症
4 不安定狭心症と心筋梗塞
三 心筋梗塞の公務起因性
四 狭心症に関する原判決の医学的経験則違背
1 不安定狭心症と心筋梗塞との関係
2 狭心症から心筋梗塞に移行する可能性
五 心筋梗塞に関する原判決の医学的経験則違背
1 心筋梗塞の発症時期と誘因としての運動負荷について
2 心筋梗塞の素因について
(一) 高血圧について
(二) 高脂血症について
(三) 肥満について
(四) 喫煙について
(五) 糖尿病について
(六) 年齢、性別
第五 公務起因性の具体的認定について
(理由不備・理由齟齬(民事訴訟法三九五条一項六号))
一 本件事案の特殊性
二 四月一六日の出来事
1 狭心症発症時の状況
2 診断病名と医師の対応
3 帰校後の業務
4 午後の身体計測中の業務
5 その後の業務と就寝までの経過
6 総括
三 四月一七日の出来事
第六 相当因果関係の立証責任についての法令違背について
(民事訴訟法三九四条)
一 判例の立場
二 包括疾病たる心筋梗塞の場合
三 原判決の法令違背
第七 結語
記
第一はじめに
一 事案の概要
本件事案は、東京都立町田高等学校教諭(保健体育科教師)である訴外加藤美水(以下「被災者」という。)が、昭和五五年四月一七日午後三時三〇分ころ、同校の用務員室において清掃用具の数を調べてメモをしていた際、気分が悪くなり、同日午後四時三五分ころ、急性心筋梗塞により死亡するに至ったというものである(以下「本件災害」という。)。
被災者の死亡前日の四月一六日は、町田高校の身体計測日であった。被災者は、その日午前九時ころ、校舎第三棟の階段付近で気分が悪くなり救急車で原町田病院へ搬送されたが、「心筋梗塞の疑い」との診断を受けたものの(翌日の関東中央病院での血液検査の結果により、結論的には狭心症であったことが判明している。)、心電図には異常がなく、また、被災者本人も病院では特に異常を訴えなかったことから、被災者は、午前一〇時三〇分ころ帰校して、午後の身体計測も滞りなく済ませ、平常どおり午後五時三〇分ころ帰宅した。
翌一七日は、マイカーで午前八時二〇分ころ登校した後、前日夜同僚からの勧めもあり、念のため再度病院で検査を受けることとし、午前九時ころ用務主事の車で学校を出発して町田駅まで送ってもらい関東中央病院で診療を受けた。しかし、血液検査では心筋梗塞発症を示すような異常はなく、虚血性心疾患(狭心症様発作)と診断されたものの特に異常を訴えることもなく、午後二時三〇分ころ帰校した。その後は、同僚教諭と用務主事室前で保健部の予算請求及び清掃の徹底について話し、同二時四〇分ころ体育準備室に戻り、同三時ころ、用務主事室へ行って同主事と清掃用具について話をした後、用務員室で清掃用具の数を調べてメモをとっていた最中の同三時三〇分ころ、急性心筋梗塞を発症したという経過であるから、その間に取り立てて過重な業務がなされたとは言えない。
そこで、上告人は、被災者の妻である被上告人からなされた本件公務災害認定請求について、公務災害の認定基準及び医師の医学的意見等に照らして、本件災害は公務上の災害とは認められないとして公務外認定処分を行ったものであるが(第一審の東京地方裁判所も同様の見地から上告人の処分を正当とした。)、原判決は、被災者の急性心筋梗塞による死亡は公務に起因するものであるとして、上告人の公務外認定処分を取り消した。
二 上告理由の存在
しかしながら、原判決については、以下の理由により上告理由がある。
1 第一に、原判決は、地方公務員災害補償法(以下「地公災法」という。)に定める「公務上」災害の解釈を誤っている。すなわち、同法の「公務上」災害の認定に当たって必要とされる公務起因性(相当因果関係)の解釈を誤り、これについて、<1>地方公務員災害補償制度(以下「地公災制度」という。)の制度趣旨から当然に導かれるべきいわゆる「相対的有力原因説」を採らず、いわゆる「共働原因説」を採用するとともに(原判決四丁)、<2>被災者が「狭心症の発作後、入院のうえ、適切な治療を受け、安静にしておれば、心筋梗塞を発症し、死亡する可能性は極めて少なかった」のに「翌一七日の関東中央病院での受診までの間の症状の悪化は、狭心症の発症状後、安静にすることなく右のような公務を継続したためである」から、「心筋梗塞とこれによる死亡は、四月一六に発症した狭心症が前記公務に伴う負荷によって自然的経過を超えて急激に増悪し、狭心症と右公務が共働原因となって発生したもの」(原判決九丁表)との認定を行ない、公務の過重性の判断について、一般的には心筋梗塞について特別に労務上有為的な危険性を有しない通常の業務遂行についてまでも、「被災者個人」を基準として、安静を要するのに通常の公務を継続したことをもって過重であると認定した。
このような考え方は、たまたま使用者の支配管理下にあった「機会」に発症した被災者個人の素因に基づく『私病』についてまで「自然経過を超えたものとして」公務起因性を認めるものにほかならず、これは、労働者災害補償保険制度(以下「労災制度」という。)、国家公務員災害補償制度(以下「国公災制度という。)及び地公災制度により統一的に運用されている災害補償制度に関する理解を明らかに誤ったものであり、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令違背(民事訴訟法三九四条)がある。
2 第二に、原判決は、心筋梗塞の発生機序について、医学的経験則に違背した認定を行っている。すなわち、原判決は、認定事実についての相当因果関係の有無を判断するに当たって、心筋梗塞に関する医学的経験則によれば、血管病変の形成に公務が直接関与するものではないとされているにもかかわらず、前記公務に伴う負荷によって心筋梗塞が発症したと認定している。かかる判断は、医学的経験則に明らかに違背し、相当因果関係に関する法令の解釈・適用について、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令違背(同法三九四条)がある。
3 第三に、原判決は、相当因果関係に関する法令を本件認定事実に適用して公務と疾病との間の相当因果関係(公務起因性)の有無を判断するにあたって、その事実の認定及び結論を導く過程につき、理由不備又は理由齟齬(同法三九五条一項六号)がある。
4 第四に、相当因果関係の立証責任に関する法令の解釈・適用を誤り、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令違背(同法三九四条)がある。
三 災害補償制度への影響
また、原判決は、これまでの災害補償制度についての確立された行政解釈である相対的有力原因説を肯定する後記判例(第三の五)にも明らかに抵触しているものであることから、原判決がそのまま認められるようなことがあれば、地公災制度のみならず、労災制度及び国公災制度の運用にも多大の混乱と支障をもたらすものである。
四 まとめ
以上のとおり、原判決は災害補償制度を正解していないことから、地公災法における相当因果関係の解釈及び適用を誤ったものと解されるので、以下、地公災制度の制度趣旨について述べたうえで、順次、右各上告理由について詳述することとする。
第二地方公務員の災害補償制度について
地公災制度は、その制度趣旨及び沿革に照らし、労災制度や国公災制度と均衡の取れた解釈・運用がなされなければならない。以下、災害補償制度の制度趣旨及び地公災制度の沿革について概観する。
一 災害補償制度の意義
災害補償制度は、昭和二二年に制定された労働基準法(以下「労基法」という。)に基づいて創設されたものである。
災害補償制度とは、被用者の業務の遂行は使用者の支配管理下において行われ、その利益は使用者に帰属するものであるのに対し、その行う業務には多かれ少なかれ各種の危険性が内在しており、使用者の支配管理下にある被用者には、その危険性を回避することが困難な場合もあることから、その危険性が現実化して被用者が負傷し又は疾病に罹った場合には、使用者に何らの過失がなくても、その危険性の存在ゆえに使用者がその危険を負担してその損失補償に当たるべきであるとする趣旨に出たものである(企業危険説。青林書院・裁判実務大系8(民事交通・労働災害訴訟法)四三三、四頁〔武田聿弘〕、日本評論社・法律学体系コンメンタール編21・労働基準法(吾妻光俊)二八一、二頁、(財)労働行政研究所・改訂版労働者災害補償保険法(労働省労災補償部編)二五、六頁)。
これは、従来からの確立された行政解釈であるとともに学説上においても通説である。
これに対し、生存権保障説とも言うべき考え方も提唱されているが(前掲・裁判実務大系3・四三四頁)、後述の地公災制度の沿革、法規の解釈・運用と相容れないため、一般には受け入れられていない。このような生存権的保障は、社会生活上一般的に生ずる負傷、疾病、失業等の場合に適用される各種の社会保険制度・共済組合制度や、国家扶助のような社会保障制度により達成されるべきものであって、災害補償制度とはその基本的性格を異にするのである。
二 地公災制度制定の沿革
(地方公務員法制定時)
1 地方公務員法の制定前は、地方公務員についても民間労働者と同様に、労基法、労働者災害補償保険法(以下「労災法」という。)等が適用されていた。地方公務員法の制定(昭和二五年)後は、同法四五条に基づき地方公共団体に公務上の災害に対する補償が義務づけられ、一般職の職員の災害補償の具体的な内容は条例で定めることとなったが、その条例を制定した地方公共団体は少数に止まり、依然、その他の地方公共団体の職員は、労基法、労災法等の適用を受けていた。
このため、<1>右条例を制定する地方公共団体とそうでないところとで給付水準にばらつきが生じ、<2>右条例を定めない地方公共団体においては、非現業職員の大部分は労基法のみの適用を受けたため、民間労働者の労災法に基づく補償と比べて給付水準が低くなり、<3>同一の地方公共団体でも労災法の適用を受ける現業職員と労基法の適用を受ける一般職員とで補償内容に不均衡が生じる等、さまざまな問題が生じていた。
(労災法の改正と地公災法の制定)
2 更に昭和四〇年には、年金制度導入等に伴う労災法の改正により、同法に基づく給付内容は大幅に改善されたため、災害補償内容の不均衡に一層の拍車がかかり、また、全国三千数百の地方公共団体ごとに通常複数いる任命権者がそれぞれの立場で公務上外の認定・補償給付決定を行うことによる補償給付の不統一性・不公平性の問題も生じてきた。
そこで、補償内容の改善を図るとともに、補償の迅速かつ公正な実施を確保し、あわせて、これまで災害補償の途が開かれていなかった地方公務員にその途を開くことを目的として、昭和四二年に地公災法が制定された。そして、同法に基づき、任命権者の補償義務を代行する専門機関としての地方公務員災害補償基金(以下「地公災基金」という。)が設置されたため、地方公務員の災害補償について、補償給付内容の均衡はもとより公務上外の認定も地公災基金により統一的に行われることとなった。
地公災法は、一般職、特別職を問わず、地方公務員の全ての常勤職員について直接適用されるものとされている(同法二条一項)。ただし、非常勤職員、特別法適用職員(船員等)については労災法等が適用される。
(地公災制度の特質)
3 地公災法に基づく災害補償制度の特質としては、次の点が挙げられる。
(1) 公務災害に該当すればよく、使用者の故意・過失を問わないこと。
(2) 補償対象となる損害の範囲は身体的損害に限られ、物的損害及び精神的損害は含まないこと。
(3) 原則として実損害の補償ではなく、定型的・定率的補償であること。
(4) 一般職、特別職を問わず全ての常勤職員を対象とするものであること。
(5) 補償原因たる災害は公務との間に相当因果関係があるものに限定されていること。
(6) 補償の実施は、補償を受けようとする者からの請求に基づいて行うこと(請求主義)。
(7) 補償を行うのは、任命権者の補償義務を代行する専門機関としての地公災基金であること。
(8) 補償を行うための費用は、租税をそもそもの原資とする地方公共団体からの負担金によって賄われるものであること。
三 地公災制度と労災制度・国公災制度との均衡
国公災制度も、当初は、労基法等の施行に伴う政府職員に係る給与の応急措置に関する法律(昭和二二年)に基づき、辛うじて、労基法に基づく給付水準を下回らないような暫定措置が講じられていたのみであったが、昭和二六年に国家公務員災害補償法(以下「国公災法」という。)が制定され、労災制度との均衡が図られることとなった。
このように、地公災制度及び国公災制度は、そもそも労基法に準拠して行っていた各種の災害補償について、労災法とのバランスから法整備をしたものであり、使用者の支配管理下における被用者の業務上の災害について、使用者が無過失であっても企業危険責任に基づき補償を行う制度であるという点において、地公災制度、国公災制度及び労災制度は全く同じ性格を有する。
また、現行の公務員制度は、地方公務員、国家公務員とも、給与、勤務時間、その他の勤務条件について民間との均衡において制定されており、広義の労働条件の一つである災害補償制度についても、それぞれの制度の均衡が考慮されなければならない。
したがって、現行の地公災制度、国公災制度及び労災制度は相互に均衡のとれた運用がなされなければならないのである(国公災法二三条、地方公務員法四五条四項、東京地裁昭和四五年六月二九日判決(労働判例第一〇七号四〇頁)参照)。
第三地公災法における相当因果関係の解釈について(判決に影響を及ぼす法令違背(民事訴訟法三九四条))
一 地公災法における相当因果関係の内容
(相当因果関係の必要性)
1 地公災制度において災害補償の対象となるのは、あくまで「公務上」の災害である。地公災法三一条、四二条は「職員が公務上死亡した場合」に災害補償を実施すべきことを定めているが、ここにいう「『職員が公務上死亡した場合』とは、職員が公務に基づく負傷又は疾病に起因して死亡した場合をいい、右負傷又は疾病と公務との間には『相当因果関係』のあることが必要であり、その負傷又は疾病が原因となって死亡事故が発生した場合でなければならない」のである(最高裁第二小法廷昭和五一年一一月一二日判決〔訟務月報二二巻一〇号二四五八頁・判例時報八三七号三四頁〕参照)。
ところで、地公災法で問題とされる相当因果関係の具体的内容の解釈及びその適用については、前述した災害補償制度の制度趣旨、地公災法の沿革・特質等に鑑みて判断されるべきものであり、また、地公災制度は、労災制度、国公災制度と基本的性格が同一であるから、右各法における「業務」ないし「公務」と、「死亡」との間の相当因果関係は、右各法令(規則を含む。)の規定を相互に参酌しつつ、統一的に解釈・適用されなければならない。
(民事賠償における相当因果関係との違い)
2 災害補償制度は、前述のとおり、使用者の支配管理下において被用者が被った災害についての使用者の責任を客観的に定めるものであり、故意・過失に基づき原因者に負担を求める民事上の損害賠償制度とはその性格を異にする。
すなわち、災害補償制度は、使用者の支配管理下における業務遂行に内在する各種の危険性が現実化して被用者が負傷し又は疾病に罹った場合には、使用者に何らの過失がなくても、使用が危険を負担してその損失補償に当たるものである。そして、地公災制度においては、<1>災害発生原因としての使用者の故意・過失を問わず(したがって、過失相殺もなく)、<2>公務上と認定されれば災害の態様に関係なく定型的・定率的補償がなされ、<3>社会保障制度を上回る補償金額が支給され、<4>右費用は、租税をそもそもの原資とする地方公共団体の負担金によって賄われることをその特質とする。
これに対し、民事上の損害賠償制度は、<1>個別の事案において行為者に故意・過失がある場合に、<2>帰責事由に基づいて責任者及びその責任の範囲が判断され(過失相殺もある)、<3>賠償金額も個別具体的公平の観点から認定され、定額ではない。
このような法制度の違いから、相当因果関係の考え方についても違いが生じる。
すなわち、民事上の損害賠償制度においては、<1>債務者の故意又は過失行為の存否、<2>債務者の行為と損害との間の事実的因果関係(条件関係)の有無、及び<3>債務者の行為から事実的因果の流れとして生じた損害のうち賠償の対象とすべき損害を債務者に負担させることを相当とするための相当因果関係の有無ないし保護範囲の問題が論じられる。ここにいう相当因果関係とは、債務者の有責行為から発生した損害のうちどの範囲までを賠償の対象とすべきか(事実的損害の範囲)、賠償するとして金銭的にいくらの金額を賠償すべきか(金銭賠償の範囲)を社会的に見て妥当な範囲に限定するための概念として用いられている。
これに対し、地公災制度においては、<1>使用者には公務に内在する各種の危険性が現実化したときに危険責任が課せられ、故意・過失の有無は無関係であり、<2>公務と災害との間に事実的因果関係(条件関係)の存在は必要であるが、<3>補償の範囲は地公災法により定型的・定率的に法定されており、事実的損害の範囲や金銭賠償の範囲を限定するための概念としての相当因果関係は理論的に問題にならない。
このように、災害補償制度の本質が、業務に内在する各種の危険性が現実化した場合の損失について使用者が無過失責任を負うことにあり、それに要する費用については、労災制度においては使用者の保険料、地公災制度においては地方公共団体の負担金により一切が賄われ、労働者なり地方公務員は一切保険料等の負担がなく、かつ責任割合による損失負担が求められず画一的に一〇〇パーセントの決定補償額の支払を義務づけられている制度を採用していることからして、全ての災害について使用者に全責任を負わせることはできず、公務の遂行に際して発生した災害のうち、その責任を使用者たる地方公共団体に帰すべきかどうかを、適正かつ客観的に判断するための概念が必要となる。
そこで、災害補償制度においても、使用者側に負担を負わせる範囲を客観的に妥当な範囲とするための法的根拠として「相当因果関係」という概念が用いられているが、その内容は、前述のとおり民事損害賠償制度のそれとは全く異質のものである。
二 地公災基金理事長通達
以上のような相当因果関係の有無についての判断を個々の事案に則して「迅速かつ公正」(地公災法一条)に行い、かつ、労災制度及び国公災制度との均衡を保ちつつ適正かつ明確な基準に基づいて行うため、地公災制度における相当因果関係の具体的判断については、地公災基金理事長通達「公務上の災害の認定基準について」(昭和四八年一一月二六日地基補第五三九号・最終改正昭和六一年一月二七日地基補第八号。以下「基金理事長通達」という。)が定められている。
このうち「公務上の疾病」の認定については、労災制度との均衡を図る目的から、以下に述べるとおり、労基法七五条二項に基づく同法施行規則別表第一の二(同規則三五条関係)と同様の内容を定めている。
三 基金理事長通達の認定基準の合理性
(職業性例示疾病と包括疾病との違い)
1 労基法施行規則別表第一の二は、「業務上の疾病」の範囲を規定しており、同表には業務上の疾病として、(1)業務上の負傷に起因する疾病(同表一号)、(2)特定の有害因子による疾病(同表二~七号。以下「職業性例示疾病」という。)、及び(3)「その他業務に起因することの明らかな疾病」(同表九号。以下「包括疾病」という。)の三種が規定されている。
そして、右の職業性例示疾病は、業務に内在する有害因子ごとに大分類項目が設けられ、六つの有害因子に大別された上、各分類項目ごとに最新の医学的知見に基づき業務上の疾病として定型的に捉えられるものについて、当該業務とこれに対応する疾病とが詳細かつ具体的に記載されている。これらは、特定の有害因子・危険を内包する業務に従事することにより、当該業務に起因して発症しうることが医学的経験則上一般的に認められている特定の疾病について類型化したものである。
包括疾病は、前記(1)及び(2)の類型には属さないが、これに準じた性格を有する疾病を包摂するものである。したがって、包括疾病の場合も職業性例示疾病におけると同様に、当該業務に当該疾病を発生させる有害因子・危険が内包され、これが現実化したことによる疾病であることを要するが、職業性例示疾病の場合には、右の有害因子・危険による疾病であることについて、医学的経験則ないし疫学的知見から一般化・定型化されたものであるのに対して、包括疾病の場合は、医学的経験則ないし疫学的知見の裏付けがないため業務と疾病との関係を一般化・定型化できないものであることが異なる。
したがって、両者の立証過程における具体的違いは、職業性例示疾病の場合には、請求者は、<1>被災者が例示された危険有害業務に従事し、<2>法定列挙の疾病に罹患したことを証明するだけで足り(事実上の推定)、業務と疾病との因果関係の立証を事実上不要とするのに対し、包括疾病の場合には、<1>当該業務が職業性例示疾病と同様の有害危険要因を内在する危険な業務であること、<2>右業務の危険性の現実化として疾病が発生したことを、被災者側で立証しなければならない点にある。
(地公災基金の認定基準)
2 地公災基金においても、右労基法施行規則別表第一の二と同様の内容の理事長通達が発せられていることは既述のとおりであり、本件事案の急性心筋梗塞のような虚血性心疾患は、労基法においても地公災法においても、包括疾病として取り扱われている。したがって、労基法施行規則別表第一の二第九号に対応する前記基金理事長通達の2(3)シの「公務と相当因果関係をもって発生したことが明らかな疾病」(包括疾病)に該当するか否かが問題となるものである。
(脳・心疾患の場合の考え方)
3 ところで、脳血管疾患及び虚血性心疾患等は、基礎となる動脈硬化等による血管病変又は動脈瘤、心筋変性等の基礎的病態が、加齢や日常生活等における諸種の要因によって増悪し、血管からの出血や血管の閉塞した状態ないし心筋の壊死などが生じ発症に至るものが殆どである。そして、脳・心疾患は、現在、国民の死亡原因の二位と三位を占め(一位はガンである)、全死亡者の三五パーセントを超える疾患である(平成二年の厚生省疾病統計では、心疾患二〇・二パーセント、脳血管疾患一四・九パーセント)。このように脳・心疾患は、死亡者の三人に一人の死亡原因であり、国民の死亡原因の二位と三位を占める日常生活上多数生じているいわゆる『私病』である。
医学的に見ても、発症の素地となる血管病変等の形成に公務が直接関与するものではないとされるところから、一般的に、脳血管疾患及び虚血性心疾患等は、いわゆる私病が増悪した結果として発症する疾病であるとされている。したがって、職業性例示疾病とは異なり、特定の公務が特定の脳血管疾患又は虚血性心疾患等を発症させるという関係にはない。ただし、例外的に、当該公務が精神的又は肉体的に著しい過重負荷を生じるものであったため、これにより、脳血管疾患又は虚血性心疾患等が明らかにその自然経過を超えて急激に著しく増悪して発症したと医学的に認められる場合には、「公務と相当因果関係をもって発症したことが明らかな疾病」に該当することとなる。
医学的にみて、どのような場合に、業務により脳血管疾患又は虚血性心疾患等が明らかにその自然経過を超えて急激に著しく増悪して発症したと認められるかについては、労働省労働基準局長の委嘱により「脳血管疾患及び虚血性心疾患等に関する専門家会議」において検討が行われた。
右専門家会議の検討結果を具体化したものが、労働省労働基準局長通達「脳血管疾患及び虚血性心疾患等の認定基準について」(昭和六二年一〇月二六日付基発第六二〇号。以下「労働省六二年通達」という。)である(通達及び専門家会議の内容詳細については、添付資料『脳血管疾患及び虚血性心疾患等の認定基準について』(労働省労働基準局作成)参照)。
地公災制度及び国公災制度における脳血管疾患及び虚血性心疾患等の認定についても、右六二年通達の基準と同様の基準に基づいて行われている。
(労働省六二年通達について)
4 労働省六二年通達は、現時点における最高度の医学的知見に基づいて、脳血管疾患及び虚血性心疾患等が業務に起因して明らかにその自然経過を超えて急激に著しく増悪して発症したと認められる場合を客観的に基準化したものである。
右通達は、具体的には、<1>発生状態を時間的及び場所的に明確にし得る『異常な出来事(業務に関連する出来事に限る。)』に遭遇し、又は日常業務に比較して『特に過重な』業務に就労したことにより、明らかな『過重負荷』を発症前に受けたことが認められること、<2>過重負荷を受けてから症状の出現までの時間的経過が、医学上妥当なものであることの二点を挙げている。
そこで、公務起因性の有無を判断するに当たっては、『異常な出来事』に遭遇したか、また『特に過重な』公務に就労したことにより、『過重負荷』を受けた事実があるかを検討する必要がある。
右通達によれば、『異常な出来事』とは、
<1> 極度の緊張、興奮、恐怖、驚愕等の強度の精神的負荷を引き起こす突発的又は予測困難な異常な事態
<2> 緊急に強度の身体的負荷を強いられる突発的又は予測困難な異常な事態
<3> 急激で著しい作業環境の変化
を意味し、また、『特に過重な』業務とは、通常の所定の業務内容等に比較して特に過重な精神的・身体的負荷を生じさせたと客観的に認められる業務をいい、『過重負荷』とは、脳血管疾患及び虚血性心疾患等の発症の基礎となる病態(血管病変等)をその自然経過(加齢や一般生活等において生体が受ける通常の要因による血管病変等の経過)を超えて急激に著しく増悪させ得ることが医学的経験則上認められる負荷、をいうとされる。
右通達に定められた基準に該当する場合には、当該業務によって急激な血圧変動あるいは血管収縮が引き起こされ、その結果、血管病変等が、その自然経過を超えて急激に著しく増悪し、脳血管疾患・虚血性心疾患等を発症させたと医学的見地から肯定し得るのであって、まさに、当該業務に内在する有害因子・危険が現実化したものと判断できるものである。
以上のとおり、労働省六二年通達は極めて合理性のあるものであり、脳血管疾患及び虚血性心疾患等の公務起因性(相当因果関係)を判断するにあたっては、これらの基準が十分参酌されるべきである。
四 相対的有力原因説
(相対的有力原因説の妥当性)
1 これまで述べてきた災害補償制度における「相当因果関係」とは、災害が発生した時点に立って、そこから過去に遡って客観的に災害を発生させる原因となり得た(条件関係を有する)無数の原因を抽出し、その原因の一つである公務のみに危険責任を負わせ全損害の補填をさせてよいかどうかを判断する基準(客観的相当因果関係)である。
このように、無数の原因のうちのわずか一つである公務に一〇〇パーセントの危険責任を負担させるだけの合理性を担保するためには、少なくとも公務が、災害発生との間に条件関係を有するその他の原因に比較して、より重要な比重を占めていることが必要である。すなわち、本件のような心筋梗塞事案においては、高血圧症、高脂血症、糖尿病等の基礎疾患、肥満、運動不足、性格、年齢等の「公務以外の要因」も重要な発症原因とされており、これら「公務以外の要因」と「公務」という要因とを比較して、公務の方が相対的に重要な比重を占めていると評価できない限り、公務と疾病との間の相当因果関係はないと言わねばならない。
これを、行政解釈においては、公務が「相対的に有力な原因」であると表現することとしている(以下「相対的有力原因説」という。)。
すなわち、公務が他の原因に比較して相対的に有力な原因ではないような場合についてまで、これを公務に内在する各種の危険性の現実化として、地方公共団体の一〇〇パーセント負担に基づく公務災害補償の対象とすることは、災害補償制度の特質(前記第三の一の2(二二頁))から考えて極めて不合理であり、このような場合は、地公災制度が補償する範囲には入らず、社会保障制度や公務員共済制度などの別の制度により被災者の保護が図られるべきなのである。
なお、被災者の死亡が公務上と認定された場合の補償について具体的に見ても、当該被災者の遺族に対し、遺族補償年金又は遺族補償一時金(地公災法三一条)、葬祭補償(同法四二条)、遺族特別支給金(同法施行規則三八条一二号)、遺族特別援護金(同条一四号)及び遺族特別給付金(同条一七号)が支給されることとなり、通常の病気、負傷による死亡の際に遺族に支払われる遺族年金等の社会保障に比べ格段に手厚いものとなっていることからも、公務が他の原因に比較して相対的に有力な原因でないような場合についてまで補償の対象とすることは、明らかに不合理と言うべきである。
(誰を基準に相対的有力原因を判断すべきか)
2 ところで、この相当因果関係の有無(公務が相対的有力原因かどうか)を判断する際に、一般通常人を基準に考えるべきか、当該被災者を基準に考えるべきかについて争いがある。
前述したとおり、地公災制度が公務に内在する各種の危険性の現実化として、地方公共団体の一〇〇パーセント負担に基づく危険責任としての定型的・定率的補償を実施していることから、相当因果関係の有無(公務が相対的有力原因かどうか)の判断のためには、災害が発生した時点に立って、そこから過去に遡って客観的に災害を発生させる原因となり得た(条件関係を有する)無数の原因を抽出し、その原因の一つである公務が、疾病発症の相対的に有力原因であったかどうかを判断することとなる。
このような公務が疾病発症の相対的に有力原因であるかどうかを判断する際に当該被災者を基準とする考え方を採用すると、被災者の担当した公務が一般通常人にとっては何ら過重でないものであったとしても、被災者の素因が大きければ大きいほど、被災者自身にとっては公務がより過重なものであったと評価され、結果的に、発症した事実のみをもって、当該被災者本人にとっては公務が過重であったと判断されることになりかねない。これでは、公務の過重性の判断が被災者個人ごとに区々となり、本来的に補償対象とすべき者に対する客観的な法の適用が困難となってしまう。
公平な補償を担保するためには、他の同種業務を担当する一般的職員が当該業務を行った場合でも、やはり疾病発生の原因となったであろうと評価できる普遍妥当性が認められる場合に限り、当該公務が当該事案においても疾病発症の相対的に有力原因であると判断する必要がある。
このように、相当因果関係(相対的有力原因)の有無の判断は、個別事案における過重性判断の客観的妥当性を担保するためにも、他の事案との間での普遍妥当性を担保するためにも、一般通常人を基準に考えなければならないのである。
五 判例の考え方
相対的有力原因説の考え方(労基法施行規則別表第一の二及び基金理事長通達の妥当性)及び脳血管疾患・虚血性心疾患に関する六二年通達の妥当性については、既に各地の高等裁判所において判示されている。
1 札幌高裁平成元年四月二七日判決(昭和六二年(行コ)第五号・確定)は、心筋梗塞死亡事案について、「業務上の疾病の範囲について、労基法七五条二項は、命令で定めるものとし、これを受けた労基法施行規則三五条は、同規則別表第一の二でこれを列挙しているところ、その九号は『その他業務に起因することの明らかな疾病』と規定している。ところで、労働者の病的素因や基礎疾患(現疾病に先行し、継続して存在し、疾病の発症の基礎となる病的状態)が条件ないし原因となって発症し死亡した場合においても、業務の遂行が基礎疾患を誘発又は増悪させて発症及び死亡の時期を早めるなど、業務の遂行が基礎疾患と共働原因となって発症及び死亡の結果を招来したと認められる場合には、発症及び死亡と業務との間に相当因果関係があると解するのが相当である。そして、これを虚血性心疾患等についてみると、現代の医学的知見によれば、虚血性心疾患等はいまだ特定の業務との相関関係があるとは認められず(そのため、前記労基法施行規則別表第一の二では、その二ないし八号に掲げられず、九号として前記の形で規定されたものに該当するかどうかのみが問題となるものと考えられる。)、その基礎となる動脈硬化等による血管病変又は動脈瘤等の基礎的病態(以下『血管病変等』という。)が加齢や一般生活における諸種の要因によって増悪し発症に至るものが多いところ、このようなものは業務起因性がないことが明らかであるが、急激な血圧変動や血管収縮が業務によって引き起こされ、血管病変等が自然的経過を超えて急激に著しく増悪し発症するに至ったと医学的に認められる場合には、その発症に当たって業務が相対的に有力な原因をなしたと考えられるのであって、かかる場合には業務に起因することの明らかな疾病ということができるものと解される。そして、右の事実を認め得るためには、さらに、労働者が発症前に、日常業務に比較して、特に過重な業務に就労したことにより、明らかな過重負荷を受け、過重負荷を受けてから病状の出現までの時間的経過が医学上妥当なものであることを要するものと解するのが相当である」と判示している。
2 大阪高裁平成二年五月二九日判決(昭和六三年(行コ)第五九号・確定・労働判例五六九号六七頁)は、急性心不全死亡事案について、「『業務上』の事由に基づく死亡とは、労働者が、労働契約に基づき事業主の支配管理下にあるときに死亡した場合であって(業務遂行性)、かつ、その死亡が、業務に起因して発生した負傷または疾病によるもの(業務起因性)と認められる場合、すなわち、業務と右死亡の原因となった負傷又は疾病の発生との間に相当因果関係が存在すること、さらには業務が他の危険因子と共働原因になっているときには、業務が他の原因に比べて相対的に有力な原因であることが肯認される場合であることを必要とし、かつ、それをもって足りると解するのが相当である。なお、右業務と死亡の原因となった負傷または疾病の発生との間に存在すべき相当因果関係は、不法行為法における行為と損害との間に存在することを求められる相当因果関係、または債権法においてその存在が要求される債務不履行と損害との間の因果関係とは、その内容を同じくするものとはいえず、従属的労働関係において、当該業務に当該傷病を発生させる具体的危険性があり、それが現実化して労働者に損害を生ぜしめた場合に、これを補填することを目的とする現行労災補償制度のもとにおいては、経験則に照らし、当該業務には、当該傷病を発生させる危険性が存在すると認められるか否かを基準として、その相当因果関係の存否を決するのが相当である」と判示している。
3 東京高裁平成二年八月八日判決(労働判例五六九号五一頁)は、脳動脈瘤破裂によるクモ膜下出血死亡事案において、「業務の程度は、業務に関連する突発的かつ異常な出来事による疾病の場合を除くと、疾病の原因となる程度であることを要する訳であるから、当該労働者の『日常業務』(通常の所定就労時間及び業務の内容)ではなく、それより重い業務でなければならない。しかも、日常業務に比較して『かなり重い業務』という程度では足りず、疾病の原因となり得る程の『特に過重な業務』に就労したことを要するものというべきである。……発症ないし増悪について、業務を含む複数の原因が競合して存在し、その結果死亡するに至った場合において、業務と死亡との間に相当因果関係が存在するというためには、業務がその中で最も有力な原因であることは必要ではないが、相対的に有力な原因であることが必要であり、単に並存する諸々の原因の一つに過ぎないときはそれでは足りないというべきである。」と判示され、これは上告審である最高裁平成三年三月五日において正当であると是認された。
4 福岡高裁平成五年七月二〇日判決(平成四年(行コ)第二三号・上告中)は、心筋梗塞死亡事案について、「心筋梗塞症等の虚血性心疾患は、いわゆる職業病とは異なり、有害要因により発病する疾病ではなく、心筋変性の基礎的病態が加齢や一般生活等における諸種の要因によって増悪し発症に至るものがほとんどであり、業務がこの心筋変性の形成に当たって直接の要因とはならないし、心筋梗塞症等の虚血性心疾患の発症と医学的因果関係のある特定の業務も認められていない。したがって、いわゆる私病増悪型の疾病として労基法七五条二項に基づく同法施行規則別表第一の二第九号に該当するか否かを判断することとなる。そうすると、心筋梗塞症等の虚血性心疾患がその自然経過の中で発症したと医学上認められる場合にはいわゆる私病の領域に属するものとして労災補償の対象とはならない。心筋梗塞症等の虚血性心疾患が明らかにその自然経過を超えて発症したと医学的に認められる場合は、急激な血管収縮によって、心筋変性が急激に著しく増悪して発症する場合であり、この急激な血管収縮が業務によって引き起こされ、心筋変性がその自然経過を超えて急激に著しく増悪し発症に至った場合には、その発症に当たって、業務が相対的に有力であると判断され、業務に起因することが明らかであるとして、初めて労災補償の対象となるものである」と判示している。
六 原判決の法令違背
原判決は「地方公務員災害補償法にいう『公務上死亡』とは、公務と死亡との間に相当因果関係が存すること、換言すれば死亡が公務遂行に起因することを意味し、また、これをもって足りるというべきであって、必ずしも死亡が公務遂行を唯一の原因ないし相対的に有力な原因とする必要はなく、当該公務員の素因や基礎疾病が原因となって死亡した場合であっても、公務の遂行が公務員にとって精神的・肉体的に過重負荷となり、基礎疾病を自然的経過を超えて急激に増悪させて死亡の時期を早めるなど基礎疾病と共働原因となって死亡の結果を発生させたと認められる場合には、右死亡は『公務上の死亡』であると解するのが相当である」と判示している(原判決四丁)。
このような考え方はいわゆる「共働原因説」と呼ばれるが、これは、被災者の素因と公務とが共働して死亡するに至った場合には、その寄与の軽重等や内容の如何を問わず公務起因性を認める理論である。
しかし、この考え方は、前述のような地公災制度の趣旨から導かれる相対的有力原因説を正解せず、相当因果関係について独自の解釈を展開するものである。右判決が地公災法の解釈及び相当因果関係の意味を誤って解釈しており、前述の各高裁判決にも違反していることは言うまでもなく、原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令違背(民事訴訟法第三九四条)が存する。
しかも、原判決は、「自然的経過を超えて」という表現を使用しているが、その意味内容は、相対的有力原因説において「自然経過を超えて」と表現するものと全くその意味を異にすることに注意をする必要がある。すなわち、相対的有力原因説において使用している「自然経過」とは、脳・心疾患においては加齢や一般日常生活等において一般人が受ける通常の運動負荷等の要因による血管病変等の経過を言うのであって(労働省六二年通達(解説)4(1)イ参照)、これを超える『特に過重な』業務のみが『過重負荷』と評価されるものである。本件事案の場合には、この意味での「自然経過を超える」過重負荷は全く存在しない。原判決の「自然的経過」とは、狭心症を発症した被災者個人が「直ちに入院して適切な治療を受け、安静にする」(原判決七丁裏)状態を意味しているとしか考えられず、このような「自然的経過」を念頭に置いて議論することは、公務起因性(相当因果関係)における相対的有力原因説を正解しておらず、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令違背(民事訴訟法第三九四条)が存するものと言わねばならない。
第四心筋梗塞・狭心症に関する医学的経験則について(医学的経験則違背(民事訴訟法三九四条))
一 はじめに
前述のとおり、被災者の心筋梗塞発症が『公務上の災害』であるというためには、心筋梗塞の発症が、公務に内在する危険の現実化と認められる関係が必要であり、具体的には、当該公務が、心筋梗塞発症に対し、他の原因と比較して相対的に有力な原因であったといえる関係が認められることが必要である。
このような、相当因果関係(相対的有力原因)の有無を判断するためには、一般通常人を基準に考えなければならないが、その普遍妥当性のある判断をするためには、医学的経験則に基づいた客観的な認定が不可欠である。相当因果関係の有無の判断は、その前提として医学的経験則に裏付けられた判断でなければならないのである。
以下、<1>心筋梗塞・狭心症の発生機序、<2>公務起因性の具体的判断基準、<3>心筋梗塞のリスクファクター等について言及しつつ、原判決の狭心症・心筋梗塞についての医学的経験則違背について、順次指摘することとする。
二 心筋梗塞の発生機序
(心筋梗塞)
1 心筋梗塞とは、「左右の冠状動脈の本幹または太い分枝が急に閉塞し、冠血流量の急減、心筋壊死がおこり、激烈な狭心症状、心筋壊死の徴としての心電図変化、臨床検査所見を伴う疾患」である。
成因としては、「冠動脈硬化によるものが最も多」く、「アテローム化膿瘍や石灰化の表面に血栓を生じ、あるいはアテローム膿瘍の破裂により冠動脈が閉塞される」(乙第五六号証の二・一八八頁)ことによって心筋が酸欠状態となり壊死に陥る。
(冠動脈硬化)
2 冠動脈硬化とは、心臓の冠状動脈の内壁に石灰分やコレステロールが沈着し、次第に血管が狭くなる(冠状動脈のアテローム性硬化)ことをいう。
冠状動脈に発生し「内膜における巣状の脂質沈着と繊維性肥厚を起こすもの」を粥じゆく状じよう硬化症と称し、「冠状動脈では、一〇歳代から粥腫が認められ、経年的に高度となるが、六〇歳以降では、それほど増加しない」(以上、同号証二一八頁右段)。
動脈硬化症の成因としては、「主として疫学的観点よりの調査で、高脂血症-高コレステロール血症、あるいは高トリグリセライド(中性脂肪)血症-の存在、高血圧、肥満、喫煙などが、おもな促進因子と考えられており、そのほか、糖尿病、高尿酸血症、運動不足、精神的ストレス、性格(A型)などが、さらにそれらを修飾している。血清コレステロール値は、二二〇~二五〇mg/デシリットル以上ではかなりの危険率を示し、トリグリセライド値も一五〇mg/デシリットル以上では、同様に動脈硬化は増強される」との報告や(同号証二一九頁左段)、高脂血症・高血圧症・喫煙が三大リスクファクターであり「高血圧は動脈の粥状腫形式に働き、冠動脈硬化を促進させる、とくに高脂血症の存在下では著しい」「拡張期血圧が一〇五mmHgを越えるとその発症率の増加は著しい」との報告がある(乙第五七号証六三、六六頁)。
(狭心症)
3 狭心症とは、「冠動脈不全により発作的におこる前胸部疼痛、絞扼感、圧迫感などを主徴とする症候群」をいい、冠動脈硬化によって「冠不全すなわち冠動脈から心筋への酸素供給不足、または心筋の酸素需要の増加に基づく需要供給の不均衡によって」生じることが多い。
狭心症の持続時間は、「労作狭心症では一~五分のことが多く、長くともせいぜい一五分程度」でおさまる。また、心電図上では、「心筋傷害の進行に伴い、ST降下、T平低、逆転などがみられ」、不整脈を伴うこともあるが、「安静的心電図で異常所見を示すのは約半数にすぎない」(以上、同号証一八五頁)。
(不安定狭心症と心筋梗塞)
4 冠状動脈のアテローム性硬化が更に進行し、狭窄部で血栓を生じたりして血流が途絶し、その先の冠動脈に養われていた心筋が酸欠状態となって壊死に陥った状態が心筋梗塞である。
「不安定狭心症から心筋梗塞が発症する頻度は、不安定狭心症の診断基準により異なるが、軽症例を含めたもので五~一〇%、重症例のみを扱った報告でも二五%以下」であり、「一九八二年から八九年の当院〔東京女子医大〕に入院した不安定狭心症三六六例の心筋梗塞発症率は平均一一%」、「また心筋梗塞は入院後三日以内に早期発症する例が六〇%を占めて」いる(以上、甲第八号証一一三五頁)。
なお、「不安定狭心症に対してさまざまな薬物治療がなされているが、完全な予防はできていない。」「不安定期のCAG(冠動脈造影)をみても、狭心症発作が薬物により抑えられるのか、心筋梗塞を発症するのかを予測することは困難な結果であった」(以上、同号証一一三八~九頁)。
また「急性期の死亡率は二〇~三〇%とされ、四八時間以内の死亡が非常に多い」(乙第五六号証の二・一八九頁右段)。
このように、不安定狭心症から心筋梗塞を発症する可能性については、さまざまな議論があり、また、入院すれば心筋梗塞の発症を予防できるかどうかについても、議論が分かれている。
三 心筋梗塞の公務起因性
以上のとおり、心筋梗塞は、冠状動脈のアテローム性硬化の進行等という本人の素因を基礎とする『私病』であり、右アテローム性硬化の進行に公務そのものが直接関与するということは、現代の医学的経験則上明確とはなっていない。
したがって、心筋梗塞に公務起因性が認められるためには、前述したとおり、心筋梗塞が明らかにその自然経過を超えて急激に著しく増悪して発症したと認められる場合であること、すなわち、<1>発生状態を時間的及び場所的に明確にし得る『異常な出来事』に遭遇し、あるいは日常業務に比較して、『特に過重な』業務に就労したことにより、明らかな過重負荷を発症前に受けたことが認められ、<2>過重負荷を受けてから症状の出現までの時間的経過が、医学上妥当なものであることが必要である。
右の場合にはじめて、当該公務によって急激な血圧変動あるいは血管攣縮が引き起こされ、その結果、血管病変等が、その自然経過を超えて急激に著しく増悪し、心筋梗塞を発症させたと医学的見地から肯定し得るのであって、当該公務が心筋梗塞発症の相対的に有力な原因であったとして、相当因果関係が肯定されることになる。
四 狭心症に関する原判決の医学的経験則違背
原判決は、狭心症について、「美水の勤務状況」の項(原判決六丁裏~八丁表)で論じているが、これは本来的に医学的問題点であるから、ここで論じることとする。
1 不安定狭心症と心筋梗塞との関係
原判決は、「不安定狭心症は、急性心筋梗塞に進行し易いから、入院のうえ強力な治療と同時に安静を必要とし、不用意に運動負荷をかけると心筋梗塞となる可能性が極めて高い」という(原判決七丁表)。
原判決の根拠は、甲第七号証三四頁(同号証は、作成者が明らかでなく、文献の信用性は低い)、及び長谷川証人の証言(長谷川・一三丁裏)にあるのは明らかである。
しかしながら、甲第七号証は「心筋梗塞になりやすい不安定狭心症の時期は、強力な治療と同時に安静が必要となる。この時期、不用意に運動負荷をかけると心筋梗塞になる。リハビリテーションを行っている者として、常に心しなくてはならない問題である」とあるのみで、『安静』が入院を意味するのか、また『運動負荷』がどの程度を意味するのか、については、特に言及はない。
長谷川証人は、「初発の狭心症ですから、これは、やはり入院して治療しなければいけない状態であるということは、臨床的には言えると思います。」(長谷川・七丁裏・一三丁裏)というが、被災者の死亡前日に診療した樋口医師は、被災者に付き添って来た後藤教諭に対し「大したことない。心配ない。」としか説明しておらず(後藤・四三、四五、四六項、今坂・一一丁表)、被災当日診療した小須田医師も「発作が多少定型的でない、で、心筋梗塞、狭心症であるということが確定的でないということと、本人が非常に元気に応答されているという、一般状態がよくて、とさっき書いてあったとおもいますけれども、そういうことと、それから取り寄せた心電図に大きな異常はなかった」(小須田・一一六項)と言い、上畑証人も「虚血状態といいますか、そういう状態が少しひどくなっているということですかね。ただ、この二枚の心電図を見るとそういうふうに見えますが、それぞれの一枚ずつを見ると、これだけで心筋梗塞というところまで行っているかどうかということの診断はちょっとつけられないと思います。」(上畑・三〇項)と証言しており、医師の判断として、入院して治療を要するというのは長谷川証人のみである。
かかる証拠関係の下に「入院のうえ強力な治療と同時に安静を必要とする」という原判決は、長谷川証言を一方的に信じるもので、医学的経験則に違背する。
なお、樋口医師の作成した乙第八号証には「入院して経過を観察し、適応処置を必要とする旨患者本人に伝えた」とあるが、同号証は診療した昭和五五年四月一六日から約二年後の昭和五七年四月七日に作成されており、また当時のカルテには当該記載はなく「当時当番でついておりました看護婦が、私が、入院をして休んだほうがいいんじゃないかということをいったということで」(樋口・七二項)「カルテに書いてあること以外は、はっきりした断言はできない」(同七七項)とのことであるから、乙第八号証の信用性は低いものである。
2 狭心症から心筋梗塞に移行する可能性
原判決は、「不安定狭心症でも、入院のうえ、適切な治療を受け、安静にすれば、心筋梗塞に進行するのは、そのうちの一〇パーセントにすぎず、更に右心筋梗塞によって死亡する者は全体の約四ないし五パーセントにすぎない」という(原判決七丁)。
原判決の根拠が甲第七号証三四頁及び長谷川証人の証言(長谷川・一八丁)にあることは明らかであるが、これらの証拠から原判決認定の事実を導き出すのは困難である。
すなわち、甲第七号証三四頁は「狭心症例はすべて、はじめて狭心症を自覚しだした最初の時期がある。このうちどのくらいが心筋梗塞となるかは不明だが、一〇%くらいではないかと考えている。」との記載があるのみで、そこには「入院して適切な治療を受けること」は要件とされていない。
また、長谷川証人は、右文献を「もちろん入院されている患者さんということになるわけですけれども」(長谷川・六丁)と限定しているが、その根拠は定かではなく、また、同時に「不安定狭心症が、入院しないでどのくらい心筋梗塞を発症するかという、そういうデータがあるかどうかということ私は知らないんです。恐らく、そういうことはあまりないんだろうと思います。そういうふうにほうっておいてというデータは、多分ないだろうと思うんですけれども、ということで、そういうことは私には分かりません。」(長谷川・七丁表)という。すなわち、狭心症で入院しない者の心筋梗塞発症率がどの程度か不明であるのに(入院しなくても一〇パーセントあるいはそれ以下かもしれない)、あたかも入院すれば一〇パーセントに下がることを前提とするような原判決の認定は、事実に基づかない認定であると同時に、医学的経験則にも違背する。
五 心筋梗塞に関する原判決の医学的経験則違背
原判決は、「不安定狭心症は、急性心筋梗塞に進行し易い」(原判決七丁表)というが、狭心症を発症したにもかかわらず過重な公務に従事したため心筋梗塞を発症したと判断することは医学的経験則に違背する。
1 心筋梗塞の発症時期と誘因としての運動負荷について
原判決は、「心筋梗塞は、安静時ないし睡眠時に発症することが多く、この時期に発症するものが約六〇パーセントを占めており、肉体労働でその発症をみることは少ないとの報告もあるが、他方、この点について、就寝中の心筋梗塞の発症は二六パーセント、労作後の発症は約四三パーセントとする報告も存在し、その発症の誘因として運動負荷を無視することは相当でない(特に、後記のとおり、不安定狭心症の場合には、不用意な運動負荷をかけると心筋梗塞に移行する危険性が高い。)。」という(原判決四丁裏~五丁表)。
しかしながら、原判決が紹介している二つの報告のうち、前者は、安静時又は睡眠時の発症が約六〇パーセントであるというのであるから、それ以外の場合、すなわち労作時の発症は約四〇パーセントということである。これに対し、後者の報告は、就寝中の発症が二六パーセント、労作後の発症が四三パーセントとのことであるから、安静時の発症が残り三一パーセントである。すると、後者の報告においても、安静時又は睡眠時の発症は五七パーセントとなるから、結局この二つの報告はほぼ同一の結論を導いているものと評価できる。これら二つの報告から言えることは、<1>労作時の発症は、心筋梗塞発症時で見ても発症事例の半分にも満たないこと、<2>労作性狭心症の既往歴を有する者が心筋梗塞を発症する時期が、必ず労作時であるということまで言及しているわけではないこと(労作性狭心症の既往のある者が睡眠中に心筋梗塞を発症する例はままあることである)、の二点である。
したがって、原判決が前記二つの報告の存在のみで「その発症の誘因として運動負荷を無視することは相当でない」と認定するのは、明らかに前提たる医学的事実についての誤解があるし、また「不安定狭心症の場合には、不用意な運動負荷をかけると心筋梗塞に移行する危険性が高い」との認定についても、労作性・不安定狭心症を誘因とする心筋梗塞が労作時に発症することが多いことを前提としている点で医学的事実についての誤解がある。上畑証人も「心筋梗塞の場合には、割といそがしいことをやっていて、少しそれが落ち着いた。終わってホッと息をついたときに起こすことがよくございます。」(上畑・七九項)と証言しているのである。
このように、原判決は、明らかに医学的経験則に違背している。
2 心筋梗塞の素因について
心筋梗塞の発症のリスクファクターとしては、高血圧、高脂血症、高尿酸血症、糖尿病、喫煙、年齢、性別、肥満、気象条件、心因等が上げられる(第一審判決六頁)。
前述のとおり、動脈硬化症の成因としては「主として疫学的観点よりの調査で、高脂血症、高血圧、肥満、喫煙などが、おもな促進因子と考えられており、そのほか、糖尿病、高尿酸血症、運動不足、精神的ストレス、性格(A型)などが、さらにそれらを修飾している。血清コレステロール値は、二二〇~二五〇mg/デシリットル以上ではかなりの危険率を示し、トリグリセライド値も一五〇mg/デシリットル以上では、同様に動脈硬化は増強される」との報告や(乙第五六号証の二・二一九頁左段)、高脂血症・高血圧症・喫煙が三大リスクファクターであり、その他のリスクファクターとして、糖尿病・高尿酸血症・体重(肥満度)・気象条件・精神的因子(心因)・運動不足を掲げ、特に「高血圧は動脈の粥状腫形式に働き、冠動脈硬化を促進させる、とくに高脂血症の存在下では著しい」(乙第五七号証六三頁)「拡張期血圧が一〇五mmHgを越えるとその発症率の増加は著しい」(同号証六六頁)「合併するリスクファクターの数がふえればふえるほど発症の危険度が高くなる」「収縮期血圧が一三〇mmHg以上の喫煙者は一三〇mmHg以下の非喫煙者に比し虚血性心疾患の発症率は三・八倍であり、一方高コレステロール血症を示す喫煙者は低コレステロール血症の非喫煙者に比し実に四・五倍の高率を示している」(同号証七六頁)との報告もある。
右文献に掲げられているリスクファクターのうち、高血圧、高脂血症、肥満、喫煙については、第一審判決で認定されているとおりである。
(一) 高血圧について
被災者は、昭和五〇年度から五三年度までの定期健康診断において、軽度高血圧ないし高血圧の診断を下されていた(収縮期血圧最高一四四mmHg・最低一三二mmHg、拡張期血圧最高一一〇mmHg・最低一〇〇mmHg)。
(二) 高脂血症について
死亡当日のコレステロール値は二六八mg/デシリットルと正常値上限(二二〇~二五〇mg/デシリットル)を超えており、かなり危険率が高いと言える(同号証、及び小須田・六二項。長谷川・一〇丁裏も「軽度正常値オーバー」と表現しつつ高数値であることを認めている)。また、 β-LP(リボタンパク)についても、八〇〇mg/デシリットルとやや高いとされる(小須田・六六、六七項)。
(三) 肥満について
肥満についても、身長一七四センチメートル・体重七八キログラムで、「一見して太っているなという感じ」(小須田・三九項)であり「太り気味」であったことは明らかである。
(四) 喫煙について
喫煙も死亡一か月前まで継続していたことが明らかとなっている(被上告人・五四、五六項)。
その意味で、乙第五六号証の二記載の心筋梗塞に至る、有力な三大または四大リスクファクターの全てを有し、またはその疑いが濃厚であったと考えられ、心筋梗塞発症の危険度は、もともと高かった。
(五) 糖尿病について
原判決は、「糖尿には食事性糖尿、腎性糖尿など無害のものがあるから、美水の糖尿病の可能性は少なく、仮に糖尿病であったとしても、よくコントロールされていた」という(原判決五丁表)。
右認定は、甲第一号証、及び小須田証人の「仮に糖尿病があったとしても、よくコントロールされている、つまりあんまり心配な状態ではないという予想は立ちます。本当のところはわかりません。と申しますのは、糖尿があります場合、血液の糖が一番大事でございまして、これを食前一時間、二時間というふうに取っていきまして、直前の値が一二〇以下というのが糖尿病治療の目的になっておりますから、その意味からいきますと、この数字はあまり重大な意味ではない。重大な糖尿病はないだろうというふうに考えていいと思います。」(小須田・四九項)との証言を根拠としていると考えられる。
しかし、甲第一号証において、上畑医師は「食事性糖尿、腎性糖尿など無害のものもあり、その既往は明らかでない」というのみで、被災者の糖尿病の可能性が少ないとは記載していない。
また、小須田証人は、問診の際、被災者から糖尿病の既往がある旨の申告を受けており(小須田・三〇項)、また、被上告人も、被災者に糖尿病の気が少しあったんじゃないかと証言している(被上告人・一五四項)。
このように、被災者には糖尿病の疑いがあったことは間違いない事実であるにもかかわらず、原判決はこれを無視し、「糖尿には食事性糖尿、腎性糖尿などの無害のものがあるから」という理由のみで被災者の糖尿病の可能性が少ないと認定している。無害な食事性・腎性の糖尿がありうることは医学的に当然のことであるが、それは一般論に止まるのであって、被災者の糖尿病の可能性が小さいというためには、被災者の多糖尿が食事性・腎性の糖尿であることの立証がなければ無理である(原判決の論理に従えば、糖尿が出ていても糖尿病の人間はいないという結論となってしまうであろう。)。
「糖尿病の既往は明らかでない」とする第一審判決の認定が正確であり、原審の認定は、明らかに、医学的経験則に違背している。
更に、よくコントロールされていたかどうかについても、右小須田証言は、「本当のところはわかりません」と言っているのであって、右証言だけから原判決のように「よくコントロールされていた」と認定するのは困難である。
(六) 年齢、性別
原判決は、「美水は死亡時五二歳の男性であるところ、心筋梗塞を発症した人の年齢は半数以上が六〇歳代の後半で、五〇歳代は比較的少ない」という(原判決五丁表)。
右認定の根拠が、上畑証人の証言(同人調書五六項)にあることは明らかである。
しかし、他方で、冠状動脈の粥状硬化症につき、一〇歳代から粥腫が認められ、経年的に高度となるが、六〇歳以降では、それほど増加しないとの報告もある(乙第五六号証の二・二一八頁右段)。
したがって、原判決が、上畑証言のみに基づいて、五〇歳代で心筋梗塞を起こすことは「比較的少ない」と認定することは医学的経験則に違背する。
第五公務起因性の具体的認定について(理由不備・理由齟齬(民事訴訟法三九五条一項六号)
一 本件事案の特殊性
本件事案においては、昭和五五年四月一六日に狭心症を発症するまでの状況について、原判決は、被災者の死亡前日までの業務につき「昭和五四年度末から昭和五五年四月一六日の狭心症の発作を起こすまでの間に、卒業式、入学式等の行事があり、右公務が美水に相当の精神的・肉体的緊張を与えるものであったことは否定することができない」(原判決八丁表)としつつも、
<1> 被災者の授業受け持ち時間数が週一六時間で同僚教諭と同一であること、
<2> 校務分掌・クラブ活動顧問は他の教諭と分担しており、同僚教諭と比べて過重でないこと、
<3> 被災者がベテラン教員であること、
<4> 三月九日、一四日、一六日は勤務せず、三月二三日から四月六日までの春季休業中の登校は五日間であること、
<5> 卒業式、入学式等の行事は、他の教諭と分担したり、指導監督的業務も含まれること、
<6> 毎日午前八時過ぎから午後五時ころまでの比較的規則正しい職務を行っており、深夜勤、出張はないこと(以上、第一審判決二五頁以下と同旨)、から、「四月一六日の狭心症の発作前の公務遂行が肉体的に回復困難なほどの疲労をもたらし、精神的に過激な緊張を強いるものであったとは認められない」(原判決八丁表)とし、「美水には、前記認定のとおりの体質的素因等があり、冠動脈硬化の症状があったものと認められることから、当日の気温が一〇度を下まわる寒冷であったことを考え合わせても、美水の従事していた前記公務の遂行と四月一六日の狭心症の発症との間に相当因果関係を認めることはでき」ないと認定している(原判決八丁裏)。
したがって、『異常な出来事』ないし『特に過重な』業務の存在は、四月一六日の狭心症発症後から同月一七日の死亡直前までに限定して検討されるべきである。
二 四月一六日の出来事
(狭心症発症時の状況)
1 被災者が狭心症を発症した状況について、原判決は第一審をそのまま引用しており、第一審では「午前九時ころ、X線間接撮影や授業の連絡のため、第三棟二階の教室に行こうとして階段で気分が悪くなり、壁を伝いながら放送室までたどり着き、しゃがみこんだ」と認定されている。右事実が、労作性狭心症の根拠となってもいるのであるが、右事実については、厳密な証拠判断が必要である。
すなわち、被災者の同僚教諭等の作成した陳述書等によれば(乙第四五号証、同四八号証、同五二号証等)、全て「教室へ連絡に行くため『階段を上りかけた』とき気分が悪くなった」との記載がなされている。しかし、被災者の行動を見ていた者はいないのであって、ただ一人、被災者本人の口から狭心症発症当時の事情について聞いているのは、同僚の後藤教諭のみである。同人の証言によれば、「実は、三棟の生徒の教室に授業の連絡に行った帰りに目の前が真っ暗になって、壁を伝いながら放送室前まできたけれども、どうしても高くて上れなかったと、そういうようなことをおっしゃっていました」(後藤・五一項)というのであって、『階段を上りかけた』ときに発症した事実は全くないし、また、『教室へ行こうとして』発症したのではなく『教室からの帰り』に発症したのである。
このように、被災者は、単なる歩行中に発症したのであり、かつ、この行動は通常人の日常生活上どこにでもあるものであるから、そこには何ら過重負荷はあり得ない。
このような証拠関係の下で、原判決が「教室へ行こうとして」発症したと認定することは、理由の不備と言わねばならない。
なお、被災者の右狭心症が、労作性の不安定狭心症であると診断している長谷川証人は、「身体計測をやっている途中と言いますか、その身体計測中に起こっているわけですね。」(長谷川・五丁)と証言しているが、被災者は身体計測中に狭心症を発症したものではないから、その前提事実を誤っている。このような事実を誤解した証言に立脚して事実認定している原判決は、理由不備と言わねばならない。
(診断病名と医師の対応)
2 狭心症発症後、被災者は救急車で原町田病院へ搬送され、樋口医師の診察を受けた。樋口医師の診断結果は、その後約二年経過後に作成された乙第八号証によれば、「狭心症」であり「心筋梗塞への発展の危険を考慮し、一応入院して経過を観察し、適宜処置を必要とする旨、患者本人に伝えた」とされているが、これを確認した後藤教諭は、樋口医師から「大したことない、心配ないという一言ぐらいしか」聞いていないし(後藤・四三、四五、四六項。右は、齋藤教諭の証言とも合致している(齋藤・七丁裏))、前述のとおり、乙第八号証は、カルテに記載がない「入院を必要とする」との内容について、樋口医師の記憶に基づくものではなく、看護婦の証言をもとに作成したことが明らかになっているから(樋口・七二項、七七項)、後藤・齋藤両教諭の証言が正しいというべきである。
このように、医師の診断結果は「大したことはない」というものであり、当時は、軽い「狭心症」様発作と判断されていたと考えられる(それゆえ被災者本人も、帰校後そのまま公務に従事したのである)。
(帰校後の業務)
3 被災者は、午前一〇時三〇分ころ、帰校したが、<1>授業には出ていないし、<2>X線間接撮影に立ち合ってもいない。午前一一時三五分に第三時限の授業が終わるまで、身体計測会場の見回りをしていたに過ぎないのである。また、一一時三五分から午後零時一〇分までの昼休みには、弁当を食べた後、計測係の生徒の指導を行っている。原判決は、(昼休みに)「十分な休憩がとれないまま」という事実認定を行っているが(原判決五丁裏から六丁表)、昼休みに弁当を食べる余裕があったにもかかわらず、休憩がとれなかったと認定するのは不合理である。
原判決には、このような事実関係の下に、わざわざ「十分な休憩が取れな」かったとの事実を追加認定する理由が明確にされていないという不備がある。
(午後の身体計測中の業務)
4 午後零時三〇分から午後三時三〇分までの身体計測において、被災者は、全生徒の身長・体重男子の胸囲・体重の測定責任者として生徒の行う測定を指導し(場所は、いずれも第一棟二階)、視力(第三棟四階三階二階)、色覚(第一棟一階)、聴覚(第一棟三階)の検査会場へ足を運び、本部(第一棟一階)で適宜待機し、放送室(第二棟一階)へも行ったとの認定である。右各教室間を何回往復したのか、どの教室にどのくらいの時間待機したのか定かではないが、少なくとも、実際に計測を実施していない本部(第一棟一階)において待機していた時間が存在するのは事実である。それにもかかわらず、原判決は、「その間、美水には、全く休憩する暇はなかった」(原判決六丁表)と追加認定している。
原判決には、このような事実関係の下に、わざわざ「全く休憩する暇がなかった」との事実を追加認定する理由が明確にされていないという不備がある。
また、被災者が身体測定の測定責任者であった第一棟二階と第三棟との間及び第一棟と第二棟との間には連絡通路があり、外気に触れることなく移動可能である(第一審判決二二頁)。したがって、当時の気象条件について言及し、「当日の気温が寒冷であったこと」(原判決九丁表)を過重業務の原因の一つとする点についての理由が付されていない不備がある。
(その後の業務と就寝までの経過)
5 身体計測終了後は、生徒に身体計測器具の片付け等を指導実施したあと、体育着・体育用品の選定打合せ、野球部の練習指導を行い、午後五時三〇分に帰宅し、午後九時ころ就寝した。
なお同日には、被災者は残業二時間をしたとされているが、そもそも教諭の残業は、実働時間に一致せず「本俸の四パーセント」というような方法で計算されていた(今坂・一九丁裏)。実際の勤務時間も運用で午後四時一五分までとされており(同・二一丁)、「超過勤務二時間というのは、多分三時半から五時半までクラブ指導をやったからそれを指している」(今坂・二二丁表)のである。また、定時制が始まる午後五時半までに全日制のクラブ活動は終了しなければならないから(今坂・二二丁)、右記載を超えてクラブ活動を実施していたということはあり得ない。
したがって、これらの業務には、何ら過重性はない。
(総括)
6 以上のとおり、四月一六日の業務中には『異常な出来事』もなく、『特に過重な』業務に就労したこともなく、『過重負荷』を受けたとは認められない。
三 四月一七日の出来事
被災者は、午前八時二〇分に登校し、同僚教諭との間で授業の打合せの後、午前九時ころ関東中央病院へ診察に出掛けた。帰校は午後二時三〇分であり、同僚教諭と保健部の予算要求の打合せの後、用務主事室にて清掃用具の打合せを行った。その後、清掃用具の数を数えながらメモをとっている途中の午後三時三〇分ころ、気分が悪くなり急性心筋梗塞を発症した。
このように、四月一七日の勤務時間は、午前中に約四〇分、午後は約一時間で、合計約一時間四〇分に過ぎないのである。
この時間内に、『異常な出来事』もなく、また『特に過重な』業務に就労した事実もないから、被災者が『過重負荷』を受けたとは認められない。
なお、原判決は、「翌一七日の関東中央病院での受診までの間の症状の悪化は、狭心症の発症状後、安静にすることなく右のような公務を継続したためであることが認められ、右事実からすると、美水の心筋梗塞とこれによる死亡は、四月一六日に発症した狭心症が前記公務に伴う負荷によって自然的経過を超えて急激に増悪し」たと認定しているが(原判決九丁表)、前述のとおり、被災者は何事もなく一六日は勤務し、その後自宅に帰り通常の家庭生活を送り、翌一七日も平常通り出勤し、出勤後僅か四〇分で関東中央病院へ診察に出かけているのであり、ここに何ら問題とすべき『特に過重な』業務は一切ない。また、被災者個人が一六日に狭心症の既往があることを前提に、これをもとに「安静にすることなく」「公務を継続した」ことを公務起因性の重要な判断要素と考えているが、なぜ公務のみを重視し被災前日の家庭における行動等を問題としないのかについての理由が不備である。
いずれにせよ、このように、被災者個人の身体の事情を重視することは公務起因性の判断を曖昧にするものであって許されるべきでない。
また、甲第四号証の関東中央病院のカルテの記載及び長谷川証人の証言(長谷川・一二丁裏)にも指摘されているとおり、被災者の狭心症は、一六日に救急車で搬送された後も、一七日朝、更には関東中央病院での待合室においても発症していることに注意を要する。救急車で搬送された際の狭心症が労作性であるとしても、その後の狭心症は、自宅及び病院の待合室での発症であり、明らかに労作性と評価することは不可能である。
以上のとおり、被災者の狭心症及びこれに続く心筋梗塞の発症は、被災者の素因により発症したものであって、公務が『過重負荷』となって発症したものではない。単に、公務の『機会』に発症したに過ぎないのである。原判決の認定は、採証法則を誤っており、理由不備の違法がある。
第六相当因果関係の立証責任についての法令違背について(民事訴訟法三九四条)
一 判例の立場
災害と公務との間に相当因果関係が存在することについての立証責任が認定請求者側にあることは、災害補償関係の判例上確立したものである。
地公災法については、東京地裁昭和六二年六月二四日判決(労働判例五〇〇号六四頁)が、「……災害が公務により生じたとは、災害と公務との間に相当因果関係のあること(公務起因性)が必要であり、この災害と公務との間の相当因果関係の存在の立証責任は補償を請求する側(本件においては原告)にあるものと解するのが相当である。」と判示し、控訴審である東京高裁昭和六三年一月二八日判決及び最高裁昭和六三年一二月一日判決もこれを支持しているところである。
二 包括疾病たる心筋梗塞の場合
本件の場合に、被災者の急性心筋梗塞を公務災害であると認定するためには、それが「公務と相当因果関係をもって発症したことが明らかな疾病」(基金理事長通達の2(3)シ)であると認められることが必要である。
前述のとおり、基金理事長通達は、職業性例示疾病と包括疾病とを分けて認定基準を定めており、いずれも当該業務に当該疾病を発生させる有害因子・危険が内包され、これが現実化したことによる疾病ではあるが、前者は、類型的に、特定の有害因子・危険を内包する業務に従事することにより医学経験則上発症が一般的に認められている疾病の例示であるのに対し、後者は、医学的経験則ないし疫学的知見が存在しないため業務と疾病との関係を一般化・定型化できないものであることが異なる。
したがって、包括疾病の場合には、<1>当該業務が職業性例示疾病と同様の有害危険要因を内在する危険な業務であること、<2>右業務の危険性の現実化として疾病が発生したことを、被災者側で立証しなければならない。
特に、脳血管疾患及び虚血性心疾患等は、基礎となる動脈硬化等による血管病変又は動脈瘤、心筋変性等の基礎的病態が、加齢や日常生活等における諸種の要因によって増悪し、血管からの出血や血管の閉塞した状態及び心筋の壊死などが生じ発症に至るものが殆どであること、脳・心疾患は、現在、国民の死亡原因の二位と三位を占め、全死亡者の三五パーセントを超える疾患であること、医学的に見ても、発症の素地となる血管病変等の形成に公務が直接関与するものではないとされること等から見て、いわゆる私病が増悪した結果として発症する疾病である。
したがって、相当因果関係の立証にあたっては、認定請求者側でこうした基礎疾患等の有無やその程度を明らかにした上で、公務との関係について立証しなければならない。
三 原判決の法令違背
しかるに、原判決は、一方では心筋梗塞の発症の誘因や発症直前の行為としては様々のものがあることを認めながら、他に表立っためぼしい原因が見当たらないことから、本件健康診断の実施・監督と心筋梗塞の発症との間の相当因果関係を肯定したものであって、到底承服できるものではない。
原判決のような立場をとるときは、その疾病が公務遂行中に発症すれば、他に原因が明らかにならない限り、消去法によって公務と疾病との間の相当因果関係を肯定する結果となる。これは、他の原因があることについての反証を地公災基金に求め、相当因果関係についての立証責任を事実上転嫁するものであって、相当因果関係の立証責任が認定請求者側にあるとの判例の立場に明らかに反するものである。
このように、原判決は、公務に内在する各種の危険性の現実化としての災害を補償の対象とするという、地公災法や災害補償制度の趣旨に反し、失当である。
第七結語
以上、詳述したとおり、原判決は、公務起因性の考え方として形式的に相当因果関係説を採用しているが、実質的には機会原因があれば公務起因性を認めるというに等しく、相当因果関係の判断についての地公災法の解釈・適用を誤っていることは明白である。
原判決は、災害補償における相当因果関係の解釈・適用についての判例に明らかに抵触しており、公正に行われるべき災害補償の範囲を著しく拡大するものであって、地公災制度のみならず、労災制度、国公災制度にも多大の混乱をもたらすものである。原判決を是認するときは、災害補償制度の適正かつ公正な運用が著しく困難となることは必至であるので、その速やかな破棄を求める次第である。